年末年始、という概念が理解出来ない。
いや、概念自体は理解しているのだが、その概念が人間の行動に影響する風潮が理解出来ない、というべきか。
例えば、年末になると大掃除を始める人は多いのではなかろうか。
しかし普通に生活していれば、頻度の多少はあれど、年末かどうかに関わらず掃除はするはずだ。
「部屋が汚くなったから」「整理整頓が必要になったから」「潔癖症だから」など、掃除をする理由は多い。
どんな理由があろうと徹底して掃除をしないというのなら、まあそれは重度の不精ではあるが、逆にこの話題では問題ない。
多くの人が常日頃から掃除をする、とすると、あえて年末に掃除をする必要はない。
年末に掃除をするのは構わないのだが、「部屋が汚くなったから」「整理整頓が必要になったから」「潔癖症だから」を理由に掃除をするならともかく、なぜ「年末だから」掃除をするのか、わからない。
年末に掃除しないと、年が明けた瞬間致命的な損害を被るのだろうか。
いや、その場合「しないと致命的な損害を被るから」掃除をするのであり、やはり「年末だから」は理由にはならない。
風潮に便乗して「年末という切欠を利用して」、という理由を挙げる人もいるかもしれない。
だが「周囲の人が掃除してるから」と腰を上げて掃除を始める人が、「整理整頓が必要になった」けど掃除をしない、ということがありえるだろうか?
他人がするから自分も、という場合、理由があるのは他人であり、自分の行動に明確な理由はない。
明確な理由もなく行動する人が、自分に明確な理由が出来たのに行動しない、などと決断力のない態度を取るケースは少ないと思える。
そう考えた場合、結局その人は年末でなくとも掃除をするため、やはり「年末だから」は理由にならない。
私はそうした風潮が嫌いだ。
より正確には、「そういうものだから」で人に何かを強制することが嫌いだ、強制するのも強制されるのも。
まあ風潮以外にも強制されること全般が嫌いなのだが、「そういうものだから」という理由にまったく納得できないため、他の強制に比べて拒絶感が高い。
故に、この記事は「年始だから挨拶する」ではないことをアピールするため、あえて元日を外して掲載する。
あけましておめでとう、という言葉も、年が明けることにまったくめでたさを感じないため、言わない。
むしろ年が変わったことにより、日付を記入する際に前の年を誤記しやすくなるし、カレンダーを新調するために無駄な出費が増えるし、義理で出す年賀状の作製もゴマを磨る親戚との挨拶も面倒だし、新年は苦難の期間である。
だから、「明けまして御悼み申し上げます」くらいにしておこう。
いや、概念自体は理解しているのだが、その概念が人間の行動に影響する風潮が理解出来ない、というべきか。
例えば、年末になると大掃除を始める人は多いのではなかろうか。
しかし普通に生活していれば、頻度の多少はあれど、年末かどうかに関わらず掃除はするはずだ。
「部屋が汚くなったから」「整理整頓が必要になったから」「潔癖症だから」など、掃除をする理由は多い。
どんな理由があろうと徹底して掃除をしないというのなら、まあそれは重度の不精ではあるが、逆にこの話題では問題ない。
多くの人が常日頃から掃除をする、とすると、あえて年末に掃除をする必要はない。
年末に掃除をするのは構わないのだが、「部屋が汚くなったから」「整理整頓が必要になったから」「潔癖症だから」を理由に掃除をするならともかく、なぜ「年末だから」掃除をするのか、わからない。
年末に掃除しないと、年が明けた瞬間致命的な損害を被るのだろうか。
いや、その場合「しないと致命的な損害を被るから」掃除をするのであり、やはり「年末だから」は理由にはならない。
風潮に便乗して「年末という切欠を利用して」、という理由を挙げる人もいるかもしれない。
だが「周囲の人が掃除してるから」と腰を上げて掃除を始める人が、「整理整頓が必要になった」けど掃除をしない、ということがありえるだろうか?
他人がするから自分も、という場合、理由があるのは他人であり、自分の行動に明確な理由はない。
明確な理由もなく行動する人が、自分に明確な理由が出来たのに行動しない、などと決断力のない態度を取るケースは少ないと思える。
そう考えた場合、結局その人は年末でなくとも掃除をするため、やはり「年末だから」は理由にならない。
私はそうした風潮が嫌いだ。
より正確には、「そういうものだから」で人に何かを強制することが嫌いだ、強制するのも強制されるのも。
まあ風潮以外にも強制されること全般が嫌いなのだが、「そういうものだから」という理由にまったく納得できないため、他の強制に比べて拒絶感が高い。
故に、この記事は「年始だから挨拶する」ではないことをアピールするため、あえて元日を外して掲載する。
あけましておめでとう、という言葉も、年が明けることにまったくめでたさを感じないため、言わない。
むしろ年が変わったことにより、日付を記入する際に前の年を誤記しやすくなるし、カレンダーを新調するために無駄な出費が増えるし、義理で出す年賀状の作製もゴマを磨る親戚との挨拶も面倒だし、新年は苦難の期間である。
だから、「明けまして御悼み申し上げます」くらいにしておこう。
遊戯王の話題をしたり、ヴァイスシュヴァルツポータブルを楽しんでいたり、常日頃の言動を見れば私がカードゲーム好きなのはわかるだろうし、実際に隠さずに明言しているのだが、事実私はカードゲームが好きだ。
過去、マジック・ザ・ギャザリングをやっていた時期もあるし、その次にモンスター・コレクションに手を染め、さらに同時期にアクエリアンエイジもやったし、気まぐれ程度にスーパーロボット大戦スクランブルギャザーも集め、幼年期はカードダスシリーズに小遣いが消えていた。
コモンなどの低レアリティカードは捨ててしまったものの、モンコレとアクエリのデッキは今も残っていて、他にも好きな絵柄のカードやレアリティの高いカードも保管してある。
まあデッキが残っていても、古いカード達なので時代の移り変わりに対応出来ず、具体的には強い新カードなどを想定していないし、何よりレギュレーションが変わってきて公式の対戦で使えないのだが。
とにかく、そうしたカードゲームが昔から好きで今なお……というタイプだ。
それはトレーディングカードゲームが好きということもあるが、単純にカードというアイテムが好きという理由が大きく、ギャンブルをするならパチンコや競馬じゃなくカジノでポーカーでもしそうなくらいである。
ポーカーなりブラックジャックなり、カードゲームならトランプでもいいくらいで、暇があればソリティアもやってしまうくらい。
一時期、占術を齧った頃もあって、もちろん使う道具はタロー、いわゆるタロットカードだ。
過去、マジック・ザ・ギャザリングをやっていた時期もあるし、その次にモンスター・コレクションに手を染め、さらに同時期にアクエリアンエイジもやったし、気まぐれ程度にスーパーロボット大戦スクランブルギャザーも集め、幼年期はカードダスシリーズに小遣いが消えていた。
コモンなどの低レアリティカードは捨ててしまったものの、モンコレとアクエリのデッキは今も残っていて、他にも好きな絵柄のカードやレアリティの高いカードも保管してある。
まあデッキが残っていても、古いカード達なので時代の移り変わりに対応出来ず、具体的には強い新カードなどを想定していないし、何よりレギュレーションが変わってきて公式の対戦で使えないのだが。
とにかく、そうしたカードゲームが昔から好きで今なお……というタイプだ。
それはトレーディングカードゲームが好きということもあるが、単純にカードというアイテムが好きという理由が大きく、ギャンブルをするならパチンコや競馬じゃなくカジノでポーカーでもしそうなくらいである。
ポーカーなりブラックジャックなり、カードゲームならトランプでもいいくらいで、暇があればソリティアもやってしまうくらい。
一時期、占術を齧った頃もあって、もちろん使う道具はタロー、いわゆるタロットカードだ。
去年の11/27にROで鷹匠祭りがあり、それに参加するためにスケジュールを立て、当日に課金した。
特に確認はしていないが、去年は幹事を自任していたル氏の都合により、開催日が第四土曜に変更された記憶がある。
通常の開催予定日は奇数月の第三土曜なので、その変更が印象に残っている。
そして参加した後、特に理由もないままログインしないまま、今に至る。
つまり今日で丸一年ログインしていないことになる。
いやはや、元々惰性で続けていただけとはいえ、やめる切欠もなかったので、そのまま延々とROは続けるのだろうと思っていたのに、自分のことながら驚きだ。
結局今でも何故ログインしなくなったのかよくわからないのだが、WebMoneyはあるのに再度課金しないところを見ると、やらない状態も惰性で続いているのだろう。
特に確認はしていないが、去年は幹事を自任していたル氏の都合により、開催日が第四土曜に変更された記憶がある。
通常の開催予定日は奇数月の第三土曜なので、その変更が印象に残っている。
そして参加した後、特に理由もないままログインしないまま、今に至る。
つまり今日で丸一年ログインしていないことになる。
いやはや、元々惰性で続けていただけとはいえ、やめる切欠もなかったので、そのまま延々とROは続けるのだろうと思っていたのに、自分のことながら驚きだ。
結局今でも何故ログインしなくなったのかよくわからないのだが、WebMoneyはあるのに再度課金しないところを見ると、やらない状態も惰性で続いているのだろう。
気になる情報サイト、作品の公式サイトなど、よく覗くサイトはお気に入りに追加するのは、まあよくあることだろう。
しかし登録する時に、デフォルトだとページタイトルになるので、そこで私は一度捻りを入れたくなる。
例えば、遊戯王に限らずカードゲームが好きな私はヴァイスシュヴァルツポータブルの公式サイトをよくチェックしている。
その公式サイトはデフォルトのページタイトルだと「ヴァイスシュヴァルツポータブル|バンダイナムコゲームス公式サイト」である。
そのままでは長いので名前を変更して登録するのだが、捻りつつも追加入力はしない、というのが私のジャスティス。
ヴァイスシュヴァルツポータブルの場合、
ヴァイスシュヴァルツポータブル|バンダイナムコゲームス公式サイト
で、太字の部分のみを残し、それ以外の部分を消す。
結果「イシュヴァール」となった。
音の響きや羅列の印象などで決めるのだが、要するに削るのみで変更するわけだ。
言葉を追加したら別物になってしまう。
響きで「イシュヴァール」にしたらなんとなく記憶に残ったので成功した例と言えるのだが、よくよく考えてみたら鋼の錬金術師の地名で耳に残っていたのだろう。
どちらにせよもはやまったく別の作品である。
しかし登録する時に、デフォルトだとページタイトルになるので、そこで私は一度捻りを入れたくなる。
例えば、遊戯王に限らずカードゲームが好きな私はヴァイスシュヴァルツポータブルの公式サイトをよくチェックしている。
その公式サイトはデフォルトのページタイトルだと「ヴァイスシュヴァルツポータブル|バンダイナムコゲームス公式サイト」である。
そのままでは長いので名前を変更して登録するのだが、捻りつつも追加入力はしない、というのが私のジャスティス。
ヴァイスシュヴァルツポータブルの場合、
ヴァイスシュヴァルツポータブル|バンダイナムコゲームス公式サイト
で、太字の部分のみを残し、それ以外の部分を消す。
結果「イシュヴァール」となった。
音の響きや羅列の印象などで決めるのだが、要するに削るのみで変更するわけだ。
言葉を追加したら別物になってしまう。
響きで「イシュヴァール」にしたらなんとなく記憶に残ったので成功した例と言えるのだが、よくよく考えてみたら鋼の錬金術師の地名で耳に残っていたのだろう。
どちらにせよもはやまったく別の作品である。
さて、Blogの閉鎖をやめたはいいが、RO関連の日記に使っていたので、ROと関係なくなるといつ更新すればいいのか、タイミングがわからなくなってしまった。
ROとは無縁な自由勝手な使い道をする予定だったが、言いかえるとその日の気分で使うつもりだったから予定など皆無で、元々明確な方向性がないまま気分で閉鎖をやめただけ。
書きたくなったら書けばいいだけなのだろうし、そう使うつもりではいたが、いざ解禁してしまうとそれだけで満足して書くことがなくなる、というのは「書く」を違う言葉に置きかえれば日記以外にも多くあてはまることではなかろうか。
ROとは無縁な自由勝手な使い道をする予定だったが、言いかえるとその日の気分で使うつもりだったから予定など皆無で、元々明確な方向性がないまま気分で閉鎖をやめただけ。
書きたくなったら書けばいいだけなのだろうし、そう使うつもりではいたが、いざ解禁してしまうとそれだけで満足して書くことがなくなる、というのは「書く」を違う言葉に置きかえれば日記以外にも多くあてはまることではなかろうか。
特に理由はないが、閉鎖をやめることにした。
閉鎖を宣言した記事でも「予定は未定だ」ということを記したと思うし、予定を変更することに問題はないだろう。
とはいえ、単にやめたというよりも、同じく記していた「過去記事を全部消して新しく始める」に近い感じで、旧記事の大半をロックして閲覧できなくしてみた。
閉鎖をやめたことや閲覧制限をしたことに大した意味はないが、Blogを続けることに意味を見つけたので、こういう選択肢を作ったというわけだ。
TwitterでもBlogでもMixiでも、媒介は何でもいいのだが、とにかく文字を綴るという行為が好きなのだ、と気付いたのだ。
かつて小説を書いていたくらいだし、別に不思議でもなんでもない。
綴った文字を公開する必要はないものの、こういう場で外部に出力しておくとストレス発散になるので、ロバ耳の井戸代わりにしようと思い至った、という経緯である。
閉鎖を宣言した記事でも「予定は未定だ」ということを記したと思うし、予定を変更することに問題はないだろう。
とはいえ、単にやめたというよりも、同じく記していた「過去記事を全部消して新しく始める」に近い感じで、旧記事の大半をロックして閲覧できなくしてみた。
閉鎖をやめたことや閲覧制限をしたことに大した意味はないが、Blogを続けることに意味を見つけたので、こういう選択肢を作ったというわけだ。
TwitterでもBlogでもMixiでも、媒介は何でもいいのだが、とにかく文字を綴るという行為が好きなのだ、と気付いたのだ。
かつて小説を書いていたくらいだし、別に不思議でもなんでもない。
綴った文字を公開する必要はないものの、こういう場で外部に出力しておくとストレス発散になるので、ロバ耳の井戸代わりにしようと思い至った、という経緯である。


